Room No.0112014.11.20
街に開かれたギャラリー
川村庸子さん
Ms.Yoko Kawamura
東京の東側、三ノ輪。ファッショナブルとは言えませんが、下町風情溢れる江戸の街。今回訪れたのはオープンして半年余りの「undō 」の川村さんです。街並みのなかで明らかに異彩を放つその空間は、飲食店であり、ギャラリーでもある有機的な場所。若い人だけでなく、道行くおじさんやおばさんが、ふと足を止めなかを覗き込む光景も微笑ましい、そんな「undō 」さんを訪ねました。
-「undō 」のオーナーが、川村さんということですね?
はい、そうです。私のほかに写真家の女の子、日本語教師の男の子、神主の男の子という4人のメンバーで始めた場所です。今年の5月1日にオープンしました。
-この場所は大通り面しているし、この出で立ちは地元の方にも珍しいのではないですか?
そうですね、この辺りの方も遠方の方も本当にさまざまな人が訪れてくださいます。建物は、まだ大人用の自転車しか売ってなかった時代に街に一軒しかない自転車屋さんとして地元の人に親しまれる場所だったそうです。ごく最近まで経営していたおじいさんは、シャッターの前に自転車を置いておくと翌日には直してくれるというような、職人気質の方だったそうです。現在のオーナーさんが改修して2年ほど住んだのち、貸し出したところに私たちが出合ったというわけです。春に借りて5月1日にオープンするというスケジュールでリノベーションしました。とはいえ、すでにオーナーさんが綺麗にした後だったので、新しく作ったのはがらんどうだった1階部分の展示用の壁と水道、電気などの設備周りだけでした。それでも、手を入れて良い物件ってなかなか見つからないので有難かったですね。
-本当にたくさんの人が覗き込みますね。(取材中も大勢の人が店の前を行き交う)
そうなんですよ(笑)。それに下町気質のせいか、街の人たちがいろんなことを教えてくれるんです。あの場所にはこんな歴史があるんだよ、あそこのご飯はおいしいよ、なんていういろいろな情報が集まってきます。すぐに話かけられる。少しずつこの街に馴染んできたのかな。
-三ノ輪、という場所にした理由を教えてください。
私自身、もともと新宿・渋谷・恵比寿で遊んだり働いたりしていたのですが、あちら側には星の数ほどお店がありますから、なんとなく新しいことをはじめるのであれば西側ではなく東側でしたかったんです。蔵前とか馬喰町のような、既にキャラクターがあるところでもなく、どこかまっさらな場所はないものかと、場所を探していたんです。そんな時に住まいを東側に移すことが重なって、自転車で行ける距離感のなかで物件を探そうと思っていました。
-物件の気に入ったポイントはどこでしたか?
そもそも、この界隈には数少ないリノベーションができる物件だったんですね。自転車屋さん時代から使っていたという風情のある木枠のガラス扉が気に入ったことも大きいです。天王祭のお祭りの木札が柱にかかっていたり、どこか建物のなかに歴史が息づいている部分も感じました。真っ白なギャラリーだとクールな雰囲気になりすぎてしまうけれど、開口が広くて大通りに面しているこの立地であえてギャラリーをするのは面白いんじゃないかなとすぐに検討を開始しました。
-街の雰囲気は馴染めそうでしたか?
この裏手には、都電が走っていて、それと並走するようにジョイフル三ノ輪という活気ある商店街があるんですね。わたしたちのいる通りには天然酵母パンのむぎわらいさんとか、角打ちの有名な鈴木酒販さん、こだわりのお店も実はまだまだたくさんあります。銭湯もあるし、小商いが元気のいい、なんだか良い匂いがする街だと思いました。そこで、メンバーに相談してすぐに物件を決めたんです。
-物件探しにはどんな条件があったのですか?
飲食とギャラリーを共存させることのできるリノベーション可能な物件、であれば良かったですね。あとはその物件に出合ってから考える(笑)。飲食は、メンバーの一人がかつて台湾に住んでいたことがあり、現在の看板メニューである「牛肉麺」が出したいなという想いもありました。この物件は3階建になっており、3階をオフィス、2階を厨房、屋上はミントやバジルなどを育てる小さな菜園として使っています。
-ギャラリーと飲食。どんな場所にしたいという構想があるんですか?
ギャラリーというと、作家の作品を国内外に売り出すコマーシャルギャラリーが一般的ですが、うちは売れることよりも、まずは作家にとって実験的な試みができる場所になりたいと思っています。ここでのチャレンジをきっかけに次の展示や仕事が決まったりするような、人間の臓器に例えるとポンプのような役割をする場所でありたいと考えています。実際コンテンポラリーアートの展示にとどまらず、スパイスカレーなどのフードイベントや、ご近所に住む95歳のおじいちゃんのマジックショーなど、さまざまな切り口で“何かが起きている”という状況が生まれるよう意識しています。訪れる人もそれは同じでクリエイティブな若者だけではなく、地元のおじいちゃんもおばさんも気軽に入れる「いろんな人種が混ざる場所」になったらいいなと思っています。だって、そのほうが愉しいから。
-ギャラリーでありながら街に進出するような…
春や夏はこのガラス戸を全開にして開け放っているんですね。文字通り街に開けている状態。目の前に生えているどんぐりの木がほかの街路樹に抜きに出てこんもりと生い茂っていて、知らずしらずのうちに、人が集まり、たゆたんで行くことがあるんです。お茶を飲む人、展示を見る人、話し込む近所の人、そういう景色が自然発生的に生まれるのがいいなあと思います。
-誰でも入ってきてしまうという逆の不安はありませんか?
確かに、結界というかある意味「気」を作っていないと、求めていなかった(本人も求めていない)人がふらりと紛れ込んでしまう時がありますね。ただそれは、作品の力があれば回避できることだと思っていて。だからこそここにある空気感や展示の質の高さがとても大切なんだと思っています。
-空間作りをする際に、メンバー同士で意見交換をしたのですか?
それぞれのメンバーがイメージしているものを、俯瞰してみて大きな方向性を示していくのが私の役割だと思っていますので、いろいろ意見交換したのち、こんな風にしたいと内装をお願いした友人に相談して進めました。あくまでも「入れ物」なので、空間は限りなくプレーンにしました。
-東側、の醍醐味はありますか?
三ノ輪という場所って何にもない場所だと思って「まっさらな場所だから決めた」と、いま思えば偉そうなことを言ってはじめたんですけど全くそんなことはないですね。同じくらいの時期に写真家のご夫婦がはじめたギャラリーがあったり、吉原の芸術祭メンバーが住んでいたり、藝大生のアトリエなど、文化の香りは充分にあります。最近では南千住と三ノ輪に大型マンションの開発も進んでいて、若いご夫婦や小さい子供さんのいる家族連れが少しずつ増えているんです。お店やギャラリーがあることで、街並みが育ってくることもあると思いますので、そこはゆくゆく横に繋がっていけたらいいなと思っています。
-具体的にはどんな風に繋がっていくのでしょう?
三ノ輪の街マップを作っているんです。やはり西から東に移動することって地下鉄でたかだか30〜40分の距離なのに意識の境界線が存在するんです。どうしたった腰が重くなる。ですから日常の延長線上というよりは、小旅行気分で来てほしいなと思います。小商いや場末の名店など昔からある営みの上に、新しい動きが生まれはじめている、とても味わい深い街です。
-これからの「undō 」の活動の計画を教えてください。
「undō 」という名前は、状態や現象に名前をつけたいなと思い、ある種世界に対する選手宣誓の気持ちでつけました。とにかく動き続けていきますよという意味をこめています。歩みだけは止めずに活動をし、時代やそのときの興味、仲間などいろいろな要素によって変化していくだろうと想像しています。
この場所は、その意味で一つの最初の目に見える「形」を作るきっかけになった場所なんです。
川村さんはエネルギーに満ち溢れ、まだまだ伝えたいことがたくさんある、日々が充実して好奇心に満ちていることを感じさせてくれる方でした。取材をしている時間だけでも店の前をたくさんの人が往来し、コミュニケーションとアイコンタクト、店内にいるお客さまとの会話が生まれていました。場所が呼吸をし、歴史と時間の重さをさりげなく語っている、そんな優しさを感じる空間なのです。どなたでも訪れることができる場所ですのでぜひ「undō 」ギャラリーへ足を運んでみてください。
取材の際に催されていた展示は「鈴木絵里加 & SOMEYA yukiko & 前田真理子ジュエリー展「she」」でした。
鈴木絵里加「SōK」
SOMEYA yukiko「LÏGHTRAL」
前田真理子「MMAA」
(文・stillwater 写真・松園多聞)